この国では犬が

本と芝居とソフトウェア

みんな死ぬ

理屈ではなく肌感覚で、みんなやがて死ぬのだということに支えられて、生きている今が美しいのだという感覚があって、でも肌感覚なのでこれ以上の説明ができないのだけれど、たしかにそういう感覚がある。

短く言うと、みんな死ぬ。
これを当座の座右の銘にしている。

みんな死ぬ、だから生きていられる、とも言える。

死ぬことそのものが嬉しいかというと、そんなことは(少なくとも肌感覚では)まったくなくて、死にたくない。
でも、その死ぬことに救われて生きている。

もし死なないとしたら、(少なくとも今ほどは)生きていたくないだろうと思う。
妙だけど、そう感じるのだから仕方がない。

重要なのはみんな死ぬということで、別に自分だけが死ぬわけではない。
自分だけが死ぬのだったらちょっと寂しすぎるけれど、みんな死ぬ。例外は(知る限り)ない。いい人も、悪い人も、天才も、凡人も、好きな人も、嫌いな人も、家族も、先生も、犬も、猫も、みんな死ぬ。例外なく。

せっかく死ぬのだから、生きている今のことはせめて大切にしよう、と思う。
というより、どうせ死ぬのに、生きている今のことを大切にしてしまう。

妙ですね。
妙だけど、そうしてしまうのだから仕方がない。

他の人(たち)といて楽しいとき、というか他の人(たち)が楽しそうなときとか、あーみんな死ぬなあ、よかったなあ嬉しいなあ、と思います。
もちろんよかったのは死ぬことではなくて、楽しいことが。死ぬまでの間に、楽しい時間を過ごせたことが。

みんな死ぬ、ということを覚えておくと、このように生きている今のことを少し大切にできます。(不思議なことに)