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世界に価値のあるプロダクトを届けたい

(この記事は、いわばセルフコーチングのメモ、というか議事録のようなものです)

世界に価値のあるプロダクトを届けたい。

これが僕の行動原理だ。
ということについては、大学を卒業して働き始めるかどうかといった頃に気づき始めたと思う。以降、この認識にほぼ「ブレ」はなく、時とともに「鮮明」になってきた、と感じている。当初はこのように言語化できてはいなかったが、10年以上の時を経るにつれて、焦点が合って、輪郭がはっきりしてきた感じだ。

ということは、たぶんそういうことなのだろう。
こだわるつもりはないが、そういうことだ、と当座認めてもよいとは思う。

僕の行動原理にはもう一つある。
これは、人なら誰しもそう、という気もするが、僕は特にこれが強いと思うので、あえて言及しておく。

自分が楽しく、幸福を感じていたい。

繰り返しにはなるが、これは人なら誰しもそうだとは思う。
ただ、世界に価値のあるプロダクトを届けることが唯一絶対の原理ではない、ということが言いたかった。自分が楽しく、幸福を感じられる方法で、その限りにおいて、世界に価値のあるプロダクトを届けたい、ということだ。

さて、それがわかったいま、何をするとよいだろうか。

「組織をよくする」ことに目が向きがちだと自認している。
自分の正式な守備範囲外のことであっても、ついつい首を突っ込んでしまう。よりよくしようと思ってしまう。

これは、自分が所属する組織が、より価値のあるプロダクトを届けられるようにするためにそうしている。
つまり、組織が主語になっているということだ。

組織が主語、を所与の条件としてシンプルに考えるなら、経営をするとよい、という結論におそらくなる。
経営とは、組織を主語にすることそのものであり、また組織の行く先を定めることでもあるからだ。

だが、そう簡単な話だろうか。

一見して、条件が2つあることに気づく。
まず、自ら経営を行うことが、本当に「自分が所属する組織が、より価値のあるプロダクトを届けられるようにする」ための最善の方法か、ということ。それから、経営を(十分)楽しく、幸福だと感じられるか、ということだ。

これら2つの条件には、因果に近い相関関係がある。わかりやすい言い方として「経営の才能」があるならば(「才能」という概念自体の当否は保留として)、前者は満たせるし、後者もそれなり以上には満たせるだろう。
一方、「経営の才能」がなかったとすれば、まず前者が容易には満たせない。才能を補うための努力をするとして、後者、つまりそれがどれだけ楽しく、幸福だと感じられるかも、せいぜい不透明といったところだ。

では、経営の才能とはなんだろうか、どうすればそれがわかるだろうか、ということを考えることもできるが、これはいったん保留とする。

実は、「経営をするとよい」という単純な結論には、もう一つ見落としている条件がある。

「世界に価値のあるプロダクトを届ける」ための単位(ユニット)が「組織」である、という前提だ。
この前提にはたぶん、それなりのバイアスがある。現代において、会社員として給与をもらうことが、安定的に生活するためのとても有力な手段であること。その手段に乗っかってこれまで生活してきたこと。

僕は無意識のうちに「組織」を所与と思い込んでいるが、おそらく実はそうではない。

もし「組織」というよりどころがなかったら、世界に価値のあるプロダクトを届けるために、僕はどうするのだろうか。

これは考えてみる価値のある問いだ。ただ、既存の組織に頼らずに、「自分が楽しく、幸福を感じられる」状態でいることはそう簡単ではない。それを満たしながら、価値のあるプロダクトを届けるということをも満たす方法を見出すのは、この記事の中では難しそうだ。

この記事は、下記を認識できたことを成果として、終わりとしたい。

  • 僕は、世界に価値のあるプロダクトを届けたい。これが行動原理だ。
  • また、自分が楽しく、幸福を感じていたい。これも重要で、譲れない。
    • なお、どちらが第一原理かは明確になっていない。
  • 「組織」を主語として考える習い性を見るに、「経営」をするとよさそうに思える。
  • しかし、「経営の才能」があるかどうかはわからない。そのため、本当に経営をするとよいかも現時点ではわからない。
    • 「経営の才能」がなかった場合、「(組織が)世界に価値のあるプロダクトを届ける」ために貢献する方法として、経営よりもよい方法がある可能性が高いし、「楽しさや幸福」についても概ね同じだろうからだ。
  • また、「組織」は究極的には所与ではない。組織を所与としないケースのことも考えてみる価値がある。
    • これは簡単ではなさそうなテーマに思える。また、今までこれについて真剣に考えてみたこともほとんどない。