この国では犬が

本と芝居とソフトウェア

月いちリーディング 『夜明けに、月の手触りを』に参加しました

日本劇作家協会という団体がやっている『月いちリーディング』というワークショップがあります。
先日、僕が目下唯一ファンであるところの劇団 mizhen の主宰・藤原佳奈さんが書いた戯曲『夜明けに、月の手触りを』を取り扱うと聞いたので、行ってきました。

あらまし

『月いちリーディング』は前半がドラマリーディング(俳優さんが並んで台本を読む)で、後半がその戯曲のブラッシュアップを目的としたディスカッション、というものです。

今回は全体で 3 時間のワークショップでした。

僕は別に劇作家を志したことも志す予定もないし*1、演劇への造詣も一切深くないのですが、

俳優・演出家・制作者・観客の意見を聞いてより質の高い戯曲に書き直し、上演に至る道が開かれることを目指します。
...
演出家・俳優・技術スタッフ・制作者、そして観客として演劇に携わっていらっしゃる方々も歓迎しています。
...
演劇をいっそう楽しむことのできる観客の創造も企図しています。

等々の甘言にそそのかされてのこのこ参加してみたところ、思っていた以上にリーディング自体も楽しめたし、その後のディスカッションも観客の立場ながら刺激的なものでした。

のですが!
素人の引け目からなかなか意見を言えずにいたら、だいたい言いたいことは他の人に言われてしまって、結局一言も発言せずに終わってしまったので*2、せめて思ったことを文章に残しておこうと思います。

よかったところ

音楽的なところがよい

まずすぐに言えるのは、流れるような長台詞、長台詞、これでもかと長台詞、それからたまに地口、地口、なんなら突然の歌、で構成されるところの、とにかくテンポが心地よい、ということです。
長台詞→地口→歌という図ったような構成の部分があった、かどうかはうまく思い出せないのですが、何かそういうやり方で、ぐいぐい前進していくような音楽的なドライブ感が生まれる場面が何度かあって、(頭よりはむしろ身体に訴える)ドライブする快感、というのが一つの特長になっていると思います。

音楽的にする、というのは作者の藤原さん自身も大事にされているところのようなので、そこはこのまま大事にし続けてほしい、と思います。

登場人物が交差する瞬間がよい

ワークショップでも色々な人がそれぞれの意見を言われていたところです。
僕の見方では、やはり、各登場人物の背景や内面が(長い長いモノローグによって)しっかり伝えられたあとで、それらの人物同士がすれ違う瞬間、は素直に気持ちよい。と思います。

ただ、この気持ちよさは構造的なもの(知っている人同士が出会う気持ちよさ)で、そこがとりわけうまく(気持ちよく)書けている、というわけではないのかもしれません。
(そもそも、そこの気持ちよさを重視して書かれているのかどうかも、よくわかりません)

ものすごく勝手なことを言いますが、それぞれの人物の内面を観客が知っている(これはもうできています)うえで、それらの人物同士がすれ違ったとき、行きずりの他人同士の会話にもかかわらず、それぞれの内面が会話の中に一瞬だけずるりと顔を出す、みたいなことができたら、その場面の気持ちよさがもっと上がったりするかな、とも思いました。
会話の相手にはそのことがわからないんだけど、内面を知っている観客にはわかってしまう、みたいなセリフだと、カッコイイですね。

あるあるの描き方がうまい

冒頭の電車の場面とか、保育園(幼稚園?)の保護者のクレームとか、描写が過不足なくて、これも地味ですが、美点の一つだと思います。
さやがあさこに服をゴリ押しする場面も、服屋の店員が具体的にそういうモチベーションで服を勧めていることってまあ(滅多に)ないとは思うし、コミカルにするためにそれなりに脚色もされていたと思うのですが、それでもそれなりに自然に見えて、よいと思います。

あ、ただ、めっちゃ細かいところですが、あさこの「服屋ってこういうところなのか」みたいなセリフ(うろ覚え……)があったと思うのですが、「この人、その日まで服屋に入ったこともなかったのか? そんな女性、いるか?」と、ちょっと疑問符が浮かんだことを思い出しました。
たぶん僕がセリフを読み違えただけだとは思うのですが……。

よかったセリフとか

色んな方がおっしゃっていましたが、俳優さんの力もあって、まきの芸はめちゃキレてましたね。笑
ハチ公前のシーンが個人的にはハイライトでした。「カツ」のリフレインが絶妙な間でめちゃ笑いました。

あるいはこれも俳優さんが好きだっただけかもしれませんが、しずかの「そぉですか……」とか「こんなときでもうまいものはうまい」とかのセリフが好きでした。
何度か舞台を見て(今回は舞台ではないですが)、作者の藤原さんはこういう何気ないセリフがうまい人だな、と思います。

気になったところ

あさこはどう交差したの?

自分がちゃんと聞けてなかっただけなんだろうなあ~と思ってその場では言えなかったのですが、終盤の各登場人物がちょっとずつ絡みあう場面で、あさこだけどこにいるのかわからなくて、ひとりぼっちな印象がありました。 終盤の場面では、たしかこういう位置関係になっていたと思うのですが……。

*ファミレス

まき(店員):しずかに絡む。
しずか(客):まきのことを思い出す。

*公園

しずか:さやとマスヤさんを見かける。
さや:マスヤさんといる。ゆうこがいる家のベランダが見える。

*家のベランダ

ゆうこ:赤ちゃんを抱いている。さやが見える。

*家?

あさこ:結婚式のスピーチの練習をしている。

ワークショップの場ではむしろゆうこのひとりぼっち感が取り沙汰されていましたが、個人的にはあの独特の不穏な存在感は悪くなかったと思います。

テーマについて

母と娘のぽこぽこ数珠つなぎ、がテーマ(の一つ?)とのことなのですが、他の参加者の方も言われていたように、そこのところは、わかるっちゃわかるけど、それがメインテーマとしてズシッと来た、という印象ではなかったです。
どちらかというと、現代の二十代後半女性はこういう風に悩みながら生きている、というなんというか、あくまでごく身近なところがテーマなのかな、という風に感じていました。

実際、母はなりかけの(しかもなるかわからん)さやと偽物のゆうこと、あと疎遠にしがちな病床の母しか出てこなくて、母と娘の話なら、どうして母の現物を出さないのだろう、という素朴な疑問はやっぱりどうしても浮かびます。

サスペンド

最後、いかにも色々宙吊りのまま終わってしまいました。
ここまで宙吊りということは、たぶんむしろ宙吊り感を出そうとしてこういう終わり方にされているのだと思いますが、まあ気持ちいいかそうでもないかでいったら、そうでもないですね。笑

ゲストのマキノさんもおっしゃっていたように、ちょっとした(ほんとにちょっとした)救いのようなものを置いておくだけで、だいぶ後味はよくなるだろうと思います。
もちろん、そういうことがやりたいわけじゃないのだろうとは思いますが、何というか、ではそれにかわるものは何なのか、というところがちょっと見えにくいのでは、と思います。
たぶんそれが、母と娘のぽこぽこ数珠つなぎ、なのでしょうが。

なかなかぽーいと投げ出された感があって、僕がもし二十代後半の女性だったら、これを観たらなんだか漠然とした不安が増してしまいそうだ……とも思いました。あくまで想像にすぎませんが。

出てくる男性がつまらん

「出てくる男性がつまらん」という意見がありました。同感でした。笑
まあ男性がつまらんからといって作品のよさが損なわれているとは思いませんし、そもそも男性ちゃんとは出てこないのでしょうがないとも思うのですが、ちょっぴしかわいそうだなというか、なんとなく女性の芝居だなあ、という印象には貢献していたかもしれません。

m-flo

めっちゃ細かいのですが、m-flo って結構伝わるレンジ狭いのでは……とか思いました。
全体的には地口の精度高いので、ちょっとくらい外しても大丈夫だとは思いますが。
ただ、こういうのって、長くやり続けるならいずれにせよ、そのときそのときの観客層に合わせてアップデートしていく必要もあると思うので、結構たいへんですね。

その他いろいろ

会話について

モノローグがテンポよく進むのに対して、会話(ダイアローグ)で勢いが削がれてしまっていないか気になる、といったことを作者の方がおっしゃっていたと思います。(議論がちょっと錯綜していたので、論点を捉えそこなっているかもしれませんが……) その点は、僕は別に気になりませんでした。たしかにダイアローグのテンポはモノローグのテンポとは違っているけれど、むしろその空気感の切り替わりが味になっているのでは? という気がします。
つまり、テンポが変わることで、登場人物の内面である(物理的な発話ではない)モノローグと、現実の空気を震わせるダイアローグとの転換が自然になされていて、これはこれで(この方が)いいのでは、と思います。

ゲストの神里さんがこれに関連して「会話が箸休めである必要はないのでは」みたいなことをおっしゃっていたと思うのですが、僕はむしろ、「会話が(ドライブ感にあふれたモノローグに対する)箸休め、息をつけるポイントになっていてほっとする」という印象でした。(ただ、神里さんがなぜ「箸休め」という言葉を持ちだしたのかがちょっと思い出せないので、その言葉の意図するところも違ったかもしれません。)

また、会話が自然ではない、といった意見も見られましたが(名詞が重たい、電車でそんな会話をするか? 等)、これも言いたいことはわかるものの、僕は特に気になりませんでした。
どちらかというと、自然だな、と感じていたくらいです。

あ、そういえば、会話の勢い、というのは、この本の話ではなくて、今後会話主体のものを作るとしたら、という話だったかも……。
だとすれば、たしかに、mizhen のよさ(音楽的な感じ)を出すためには、何か一工夫がいるのかもしれません。

月の手触りについて

タイトルは『夜明けに、月の手触りを』で、その名の通り、月が出ている夜明けの場面で終わる作品でした。
また、ワークショップの場でも、作者の方が「手触り」という言葉を何度か使われていました。

これまた勝手なことを言うのですが、個人的には、もうちょっと「月の手触り」を大事に描いてみてもよかったのでは、と感じました。
たしかに何度か月に言及されるのですが、僕の中では、たしかに月出てるね、という印象に終わってしまいました。

議論があまり深まらなかったのでうろ覚えなのですが、たしか、究極的には宇宙規模のストーリー、ということだったと思います。
宇宙規模の話だと感じてもらうために、月はすごく便利なアイテムだと思うのですが*3、それがそんなに有効には活用されていなかったかな、という気がします。

ありがちな考え方かもしれませんが、同じ場所にいなくても、同じ夜明けに同じ月が見えるわけなので、広がり感を出すのにはうってつけだと思います。
ただ、今の話の流れではみんな同じ(ような)場所に集まっているので、そういう使い方は難しいかもしれません。

あとは、手触りの話をするのなら、夜明けの空気の冷たさがもっと感じられるとよかったなあ、とか。

なお僕は単純に月が好きなので、贔屓のキャラクターをもっと出してほしい、みたいなものかもしれません……。

まとめ

『夜明けに、月の手触りを』は、昨年東京で一度上演されたのですが、再演を目指してブラッシュアップしていくとのことです。
僕は舞台を一度も見たことがないので(まだ京都にいたこともあって見逃しました……)そもそも楽しみだし、これがどう変わっていくのか、という点でも観るのがものすごく楽しみになりました。

『月いちリーディング』、舞台を作る立場でなくても、演劇ファンの方であれば、かなりオススメのワークショップです。

しかし、俳優さんもよかったよなあ……。当日本番前に合わせただけとのことでしたが、当日であれができるのか、すごい。
そういう趣旨の催しではまったくないのですが、あのクオリティのリーディングが無料で見られるというだけでも行った価値があったという気もしました。

最後に(冒頭の劇作家協会のページからもリンクされていますが)月いちリーディングの Ustream のリンクを置いておきます。
開催後一ヶ月はアーカイブが公開されるようなので(まだ 9 月のものが上がっていますが、そのうち更新されると思います)、興味を持たれた方はぜひご視聴ください。

*1:そういえばRPGを作ろうとしたことならありますが……

*2:ちなみに、一言以上発言していたのは全参加者数十人中の 2 ~ 3 割くらいだったと思います。あの人数になると全参加者が自由に発言するというのはなかなか難しそうだし、むしろ結果として発言しない人もいてもいい場所なのだな、という印象はありました。

*3:正確に言うと月ではせいぜい地球規模にしかなりませんが、少なくともスケールは格段に大きくなります