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この国では犬が

本と芝居とソフトウェア

演劇の好きなところ : コミュニケーション、内臓、からだ、想像力

さかのぼること 1 年半前に演劇に出会ってしまって、以来観ているし、やってもいる。

ガンカンジャという漫画がある

話はまったく変わって、ガンカンジャという Web コミックがある。

www.lezhin.com

たしか Facebook の広告で「感動の涙」みたいな雰囲気で紹介されていたと(おぼろげながら)記憶していて、ふだんは無視するのになぜクリックしたのかはよく思い出せないのだけれど、これが読み始めてみると感動の涙どころではなく、脳だか、全身だか、下手したら(僕の)世界をが くがくがくっと揺さぶるような作品で一気に読んでしまい、呆然とした。

なお完結していない。

さらに話は変わって、「ワンパンマン」という(いまや有名ですが)Web コミックがあって、ヘロヘロの絵とサイコーのストーリーでサイコーで、しばらく(だいぶか)前に村田雄介の画による商業用の連載も始まって、ずっと楽しみに更新をチェックしている。(なおなかなか更新されない)

一方、ガンカンジャは何しろ読むとこちらの世界をガックンガックンしてくれかねないので、なかなか更新のチェックに向かう指が重い。(なお毎週きっちり更新されているようです)
というか、めったにチェックしない。何なら楽しみなのかどうかもよくわからない。

今日も久々にチェックして(実に 1 か月半ぶりだった)、ド ドドドッというものがきて、まだ心臓がドキドキしている。

ここで、そういう体験をすること(させる作品)ってあんまり多くはないな(多くても困るのだけど)、ということに思い至って、ジャンルとしては今や演劇がその最たるものだな、と気づいた。

演劇がなかった頃の暫定一位は、アニメだったのだけれど。今や演劇。

演劇の何が好きなのか

なので、演劇の何が好きなのか考えてみる。

コミュニケートする人間を見る

演劇では、人が出てきて、多くの場合は別の人も出てきて、コミュニケーションをする。

人間のコミュニケーションは、面白い。
コミュニケーションの方法にも色々あって、言葉(文言)、その大きさ、速さ、間、高さ、音色エトセトラエトセトラの要素、表情、顔の向き、身ぶり、手ぶり、身体の向き、足の向き、筋肉の緊張、呼吸、等々挙げ始めるときりがない。

公共の場所(カフェとか)で漏れ聞こえる会話を聞くのが結構好きで、身体が発するものは一切受け取れないけれど、声からわかるものだけでもすごく面白い。
でもこれは趣味がよくない(一般には「盗み聞き」と言われる)ので、露骨にやるわけにはいかない。

他にも、コンビニ店員さんとのやり取りとか基本的に定型なので、ついついニュアンスというか細部に注目してしまって、毎度楽しんでいたりする。
しかしこれにも限度がある。

そこで演劇ですよ。
演劇では、人と人とがコミュニケーションするさまを見ていてよい。タダで。いやタダじゃないけど。

演劇では、むしろ人と人とのコミュニケーションを見ることが推奨されている
これが喜びでなくて何か。ぐへへ。

引きずり出された内臓を直視する

さらに演劇では、内臓まで見られる場合がある。

これは比喩で、外科的な意味での内臓を見られるわけでは(もちろん)ないわけだけど、何というか、ふだん人が(まっとうな社会性を持った人間なら)大事にだいじに内蔵して外に出さないようにしているものがでろでろっと出てくるところが見られるのが演劇でもある。

それが見られる理由は、一つには、そういうものが出てきやすい状況(ストーリー)が用意されるということがある。

多くの演劇では、何らかの事件が起こり、観客はそれに対する俳優の反応を見ることができる。
ふつう(現実の生活で)事件が起こった場合には、そもそもそんなに頻繁には起こらないけれど、仮に起こったとして、関係者の反応を悠長に観察するという態度は(まっとうな社会性を期待される人間には)許されない。

また、俳優は、内臓を出そうとする。

と言うと明らかに語弊があって、舞台の上で、内臓を見せびらかすような態度はよくないとされる。僕もそう思う。
ここは微妙なところで説明が難しいのだけど、俳優は内臓を出そうとせずに、でもやむをえず出てしまうみたいなところが演劇の理想形の一つで、結果として、観客は内臓を見ることができる。タダで。いやお金は払うのだけれど、それよりもずっと希少な社会生活をリスクにさらすことなく。

ぐへへ、とは言わない。結構つらいこともあるので。
ただ、世界がぐらぐらするのはこの辺の要因に負うところがが大きい。たぶん。

脚本・演出・俳優と想像力の合作

そして演劇が類似の作品形態、具体的には映画やドラマと違うところは、いくつもあるのだけれど、一つには「演劇には想像力が大きく介在する」ということがある。

演劇では、正真正銘の生きている人間が舞台の上に立って、演じる。
生きている人間には体積も質量もあるし、そこから音が出るし、なんというか人間そのものである。(アホみたいな言い方だけど、人間そのものなので仕方ない)

ところが、そのそのものでしかない人間(俳優)が立つのは、舞台であり、多少の小道具大道具はあるにせよ、(物理的には)現実とは程遠い状況であることが多い。
ここに、観客の想像力が仕事をする余地がある。

演劇では、そこに明らかにないにも関わらず、嵐の街並みが、南国の海が、天から注ぐ光が(そんなものは 2016 年の現実にはない!)登場する。
製作者の仕事と、観客の想像力によって。

映画やドラマの撮影では、ふつう現実の部屋なり、街並みなり、それからモノが使われる。「ロケ」という言葉もあるくらいである。
そこに人間の想像力が介在する余地は少ない。現実の部屋や、街並みやモノは、それ以上のものにはあまりならない。「四角い画面」という強烈な制約がある以上、本当のホンモノの現実、現実のオフィス、現実のライブハウス、現実の海辺にはかなわない場合が極めて多い。(と、少なくとも僕は感じる)

もっとも、演劇でもたまにそのまま映画を撮っても成り立つようなリアルなセットを建てこむ場合もあって、そういうのはそういうので大好きだったりするので、はじめの二つに比べるとこの要素は少しだけ弱いのかもしれない。(僕にとっては)

現実にそこにある人間の身体

もう一つ映画やドラマと違うところを挙げておく。

先ほど「正真正銘の生きている人間」という言葉を使ったけれど、映画やドラマの人間は「正真正銘の生きている人間」ではない。

なぜか。

一つには、映画やドラマは画面に収められている。においもしないし、奥行きもない。つばも飛ばさない。(こちらには)
これは演劇を好きな人以外にはかなり伝わりづらいとは思うのだけれど、そのにおいや奥行きやつばといったこと(その周辺のもろもろ)が、「コミュニケートする人間」や「引きずり出された内臓」の質にかなり強く影響している、と感じる。うまく説明できないのだけど。

それから、映画やドラマの人間は切り取られている。
そもそも映画やドラマに深い思い入れがないのであまりうかつなことは言いたくないのだけれど、映画やドラマでは、編集が行われている。はずだ。目指されているのは「監督が意図した画」であって、「コミュニケートする人間、その場そのもの」ではないはずだ。(多くの場合。もしそれがいいのなら、映画を撮らずに演劇をやればいい……はず)

一方、似ているようで違うこととして、「映画やドラマは(監督の)意図や作為、こう見せようというのが感じられて嫌い」みたいなことは、別に思わない。

演劇にだって当然演出の意図はあるし、脚本を書いた時点で人物そのもの、全人格をとらえるということは絶対にかなわず、何らかの形で切り取られている。
それでもやはり、人間や「場」そのものを感じられるのは圧倒的に演劇だと感じる。そういう点でおすすめの映画ある方いたら、ぜひ教えてください。

もちろん、ストーリーやテーマも

だいぶとっちらかってきたのでそろそろ終わりにする。
最後に、書き洩らしたことをできるだけとっちらかしておく。

演劇には、ストーリーやテーマがある。そのストーリーやテーマを感じることも(もちろん)大きな楽しみの一つで、他の作品形態とは異なる形でストーリーやテーマを感受することができる。

テーマやストーリーということでいうと、演劇には比較的社会的なテーマを扱った作品が多いように思う。演劇は時事問題に強い。

演劇の種類によっては、エンターテインメント性の高いものもある。コメディと呼ばれるジャンルの作品では多くの場面で笑うことができるし、ダンスや歌を楽しめる作品もある。(もちろん、それらが作品の重要なテーマそのものに通じていることも多い)

「有名な俳優を生で見られる」というのもあるか。もともとテレビを見ないのであまり感じることはないのだけれど。多部未華子を最前列で見たときちょっと嬉しかった。

うーん、意外と思いつかない。
結局、僕にとっての演劇の魅力は、これまでに大きな項目として挙げてきた 4 つに尽きるのかもしれない。

あ、観て泣いた場合、泣くことでカタルシスが得られる、という効果もあるのか。ただ、これは絞って絞ってようやく出てきた。
泣くことを目的にしたくない、泣いてしまってはもったいない、という意識がどうやらどこかにある。これは考え始めると面白そうなテーマだけれど、脱線になるので、また。

テレビではやれないことをやれる、というのもあった。放送禁止用語の連発とか。
たぶんこれもメリットなのでしょうね。なかなか出てこなかったから、個人的には別段メリットとも感じていないのかもだけど。

といったところです。
もっと映画やアニメ、漫画や小説といった形態との対比もしてみたいのだけれど、既に長すぎるので今回はこれまでとします。