序
今月も参加しました、短歌の目。
ふりかえりまでが短歌の目です。
好きな歌の紹介
まずは好きな歌の紹介からまいります!
帰宅路を一筋変えて夕焼けを眺め ついでにユニークキャプチャ
(題 : 夕)
「ingress 短歌の人」、id:kyokucho1989 さんの一首。
題が「夕」で、「ついでにユニークキャプチャ」で締める歌となっているのですが、帰宅路変えたの絶対ユニークキャプチャのためだろ、と突っ込まずにはいられない転倒が面白いです。
ingress をやらないので実はユニークキャプチャが何なのかわかっていないのですが、文脈から推測するに、初めて来た場所でだけもらえる特典、みたいなものでしょうか。
苺ジャム煮込む横顔笑い「これ、あたしの飛び出た腸(はらわた)」と言う
(題 : 苺)
うへえ。
ハラワタをパンに塗って食べたくないし、現実にこんなこと言われたら真顔で「え、何それ」って言ってしまいそうな気がします。
でも、短歌として読むと、不思議とドキドキしてしまいます。
たぶん、苺ジャムを煮込みながら横顔で笑う情景の何気なさと、続く台詞とのギャップが効果的なのだと思います。台詞のあたまが三句のおしりにかかっているのも、「なんか気づいたらハラワタの話になってた」的なびっくりを助長していて、よいです。
初苺 やさしく摘んで 春の予感 きっとあなたを幸せにする
(題 : 苺)
直球です。
先月もこのひとの直球な歌を紹介させてもらいましたが(おでん最高!)、今月もまたしても。
たぶん一般に短歌って「嬉しい」とか「楽しい」とか「きれい」とか「幸せ」とかをそのまんま詠んでもつまらなくなりがちだと思うんですが、この人の歌はなんかいいんですよね。
なんでだろう……。
「きっとあなたを幸せにする」の能動性というか、前向きさというか、そういうものが不思議とグッときます。
そういえば、よく見たらまたスペースがあれだ、半角と全角の使い分けをされていますね。僕がこのパターンに弱いのかなあ。
信号があたしの中で騒いでる 赤だぞ止まれ 赤だぞ止まれ
(題 : 信号)
「赤だぞ止まれ」のリフレインがよいです。
止まんなきゃいけない場面で、うまく止まれない、でも止まんなきゃ、止まんなきゃ、という焦りの感覚がうまく出ているように感じます。
現実のバクはなんだか北寄貝 奇蹄目だがお寿司に見える
(題 : バク)
見えます!!
圧倒的に。
とにかく「そうだ北寄貝だ!」的な納得感がありました。どこかで見たと思ったんですよね。
歌として良いかと言われればちょっとわかりませんが……、短歌としてもきっちり定型なので、やはりよいと思います。少なくとも、楽しかったです。
それは雛、それは水彩それは夜 ぼくらをはこぶ舟だよ、ヘレン
(題 : 雛)
どこか絵本的な、うつくしい世界。
「雛」と「水彩」と「夜」と「舟」とは同じものなんでしょうか。
同じものだとして、冷静に考えてみるとそれってなんだ?? となってしまうのですが、57577 のかたちで提示されたとき、鮮やかに詩が立ち上がってきます。
好きです。
ヘレンは誰だろう。
ものの名前を覚えようとしているヘレン・ケラーを連想しますが、だとすると「ぼくらをはこぶ舟だよ」と教えてあげているのが誰だかわからなくなる。
ここのところの謎も魅力です。
明けがたの蜷色に死ぬ信号機よ、讃えよこんなにも生きる我を
(題 : 信号)
讃えよこんなにも生きる我を!
今回の卯野抹茶さんの歌がえらい好きで、思わず二首目。このままではファンになってしまいそうです。
この歌は、やっぱり蜷色がどういう色かちゃんとわかっていなかったりで読みきれていないのですが、生きる我を讃えよと命じること、その命じる相手が死ぬ信号機であること、その舞台が明けがたであることの 3 つが後ろから順繰りに大変な魅力となって迫ってくるみたいだということがわかりました。
なぜ後ろからになるのかというと、「讃えよこんなにも生きる我を」がとても好きで、それを支えているものをゆっくり辿ってみたらそうなったという次第です。
蜷色に死ぬ信号機って、なんだろう。
深夜の信号機って黄色や赤色の点滅になっていたりしがちなので、その明け方の様子を蜷色に死ぬと表現しているのかなあ、と想像してみたりはするのですが。
でも、わからなくてもかっこいいからいいんです。むしろ、わからないからかっこいいのかもしれない。(という考え方はちょっと危険な気もしますが……)
夕間暮れほどけて夜が満ちるとき我に返ればまだ人でなし
(題:夕)
なにかぐらっ、とするような、日常にひそんでいるスキマを覗いたような、こわい魅力をたたえた歌だと思います。
夕方はいわゆる「逢魔が刻」なので、そこに魔がひそむのはまったく道理であるといえます。
この歌は、その時間帯が終わって(夜が満ちて)、我に返った、はずなのにまだ人に戻れていない、そういう「あいだのあいだ」、「スキマのスキマ」を描いた歌、ということになるのでしょうか。
磯の風 土草まじりじめる肌 信号のない君が住む街
(題 : 信号)
どうしてこの歌に強くひかれたのだろう、と考えて読んでみると、嗅覚(磯・土草)、触覚(風、じめる肌)への刺激がふんだんに盛り込まれていたからだな、ということに気づきました。
もっとも、田舎のほうってそういう感覚が「ふつうに」刺激される場所なので、どこかある場所の情景を素直に詠んだらこうなっただけなのかもしれませんが。
「君が住む街」のことがありありと想起されて、そこに住む君と作者との過去の関係、いまの関係、これからの関係に思いを馳せてしまいます。
余談ですが、今回の題の一つ「信号」について、「信号のない」という句をいくつか(複数)見かけた気がします。
今どき、「信号のない」というそのことだけでも、もうたっぷりとストーリーがありますよね。この句を見つけた人(たち)はちょっとずるいな、とも思ったりしました。笑
春! 風が吹いてわたしの鼻掠め 置き去りにしてゆく年度末
(題 : 年度末)
春!
これで見事一本、と言ってしまいそうになるところですが、「風が吹いて」「わたしの鼻掠め」「置き去りにしていく」というスピード感溢れる描写も、最後に体言止めで置かれた題の「年度末」も鮮やかです。
だから、歌としてよいのです。
僕は題が発表されたときに「年度末」を見て「年度末か……。年度末バタバタするよね、とか年度末だから清算する、みたいな歌はなんか普通になりそうでやだなあ」とか思っていたらちょっとひねくれた歌が生まれてしまったのですが、この歌を見て、そうかこれが正しい年度末の使い方だ! と感心してしまいました。笑
(題 : 羊)
見事です。
白状すると結句がどうして「羊は歌う」なのかちゃんと理解できていないのですが、それでもこの歌は見事です。
昨日まで信号だった君の音 呼吸、脈動、声が聞こえる
(題 : 信号)
「信号」という無機質なものと、「呼吸、脈動、声」の瑞々しい生命のにおいとの対比がとても鮮やかです。
と思ってみて改めてちゃんと読むと、子どもが生まれたときの歌、でしょうか?
子どもは瑞々しい生命を持っているので、もしそうであれば、納得です。
帰り道コロッケ齧るブレザーに 人には人の 夕まずめあり
(題 : 夕)
穏やかなまなざしが感じられました。
「コロッケ囓るブレザー」は、たぶん下校する高校生とかだと思うのですが、それを見て「人には人の夕まずめあり」とする、何か口を出すこともなく、ただ穏やかに見守るような視線が心地よいです。
自作の解説
自作の解説もします。
前回やってなんか面白かったので、実話/創作スタイルで。
全国の「雛鳥」に関するお店 458件もある
実話です。
「雛」からまずは「小さくて幼いもの」とか「雛祭り」を連想したのですが、どっちも面白い歌が詠めそうになかったので、たわむれに「雛鳥」でググってみたら食べログで口コミに「雛鳥」を含むお店が 458 件あるという情報が出てきて、小さくて幼い雛鳥を食わせる店が 458 件もあるのかー、あ、31 音になるな、と思って安易に。
ちなみに今ググってみたら 464 件に増えてました。
弁当の苺は彼奴に奪われた メロンパンとて踏みしだかれた
実話です。
憎かった。
鈴の音と風が川面をわたる頃 野辺に降り来る青い夕ぐれ
おおむね実話です。
1 年ちょっと前まで京都に住んでいて、京都には鴨川という川があるのですが、だいたい夏はこういう感じです。
ただ、鈴の音が必ずしているかというとそうでもないな、ということと、「青い夕ぐれ」という表現はランボーの詩から得ています。
夏の夕ぐれ青い頃、行こう楽しく小径沿い、
麦穂に刺され、草を踏み
夢心地、あなうら爽に
吹く風に髪なぶらせて!
...
(『ランボー詩集』(新潮文庫)pp.18「感触」)
もちろん、この詩を読んでから夏の夕ぐれはじっさい青い(青かった)と思うようになったので、「青い夕ぐれ」が創作というわけでは決してないのですが。
人間の話を聞いているときはそのときだけは止むひとり言
半分くらい実話です。
そのときだけは、というのはさすがに言いすぎですが、ひとりでいるとたいてい頭の中でずっとひとり言を言っています。
飽きもせず揺らごう揺らぎ続けよう揺らぐばかりが人生ならば
創作です。
時には揺らぐのも悪くない、とは思いますが、揺らぐばかりは嫌だなあ、と思います。
でも思いついてみると音の響きがけっこう好きだったので、採用しました。
仔羊が親羊よりあまいなら子は親よりもあまいだろうか
創作です。
仔羊が親羊よりあまいのは、まあ事実ですよね。
そこから連想して「子は親よりもあまいだろうか」って言ったら人間を食べるみたいな感じがしてこわくていいかな、と思ったのですが、ちょっと本気度が足りなくて、こわさを出しきれなかった気がしています。
銀座線副都心線千代田線山手線はお乗り換えです
創作です。
千代田線は渋谷駅を通りません。
バクの色、かたち、大きさ、顔 すべて夢を吸い込むためつくられた
創作です。
って、言うまでもないか。
バクって、バクって、と思いながらググってみたらあっこれは、と。
なので、つくられた、ように見えたのは、実話です。
ただ、そもそも実在の獏と夢を食べる獏は別物なのですが……。
年度末年度末とは言うけれど花は年度の「ね」さえ知らない
実話です。
花って咲くよな、という単純極まりない感受をそのまま歌にしています。
ただ、これができた経緯がちょっと不純で、「年度末」を素直に使いたくねえなあ、と思っていたら思いついてしまった歌なので、ちょっと後ろめたかったりします……。
届く日が来るとも来ないとも知れず送り続ける手旗信号
実話か創作か、ちょっとよくわかりません。
最近「人間のコミュニケーションってなんかうまくいかねえよな、絶望的に」とか「でもがんばりたいよね」みたいなことを思ったりしていて、そのことを「信号」を詠み込んで表現したらこうなった、と言えなくもないのですが、うーんテーマが重たい割にちょっと安易だったかな、という気もしています。
結
うーむ、実話/創作スタイルでの解説が今回はどうもイマイチだった気がします。なんか、「半分実話」とか「半分創作」とかいった歯切れの悪いやつが多かったからかなあ。
次回どうするかはまた考えます。
いずれにせよ、やっぱりこうしてみんなで同じ題で詠んで、感想を言い合うのはたのしい!
今回は前回よりもレベルが上がっていた気がしてとてもよい、よいです。
ひとの歌を読んでたのしい、というのがこの企画のよいところです。
来月もたのしみです。