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この国では犬が

本と芝居とソフトウェア

ドローンは人殺しの道具か 『いま、ここにある武器』@シアター風姿花伝

芝居

シアター風姿花伝で『いま、ここにある武器』を観ました。

www.fuusikaden.com

  • 作 : Joe Penhall、訳 : 小川絵梨子、演出 : 千葉哲也、出演 : 千葉哲也那須佐代子、斉藤直樹、中嶋しゅう
  • 日時 : 2016/8/13(土)19:00~(プレビュー公演)@シアター風姿花伝

兵器産業に携わる優秀な技術者が、家族とのかかわりのなかでやがて自分の仕事に疑問を覚えるようになるが、関係者の思惑に翻弄されて……といった話です。

現代日本を直接描いた『雲ヲ掴ム』

今年 4 月に観た青年劇場の『雲ヲ掴ム』のことを覚えていて、さてこれも似たような兵器産業の話かと思っていましたが、観終わってみるとむしろ、「才能ある個人が、複雑な社会といかに折り合っていくか」という話だったと感じます。

技術者のネッド(千葉哲也)は、イギリスの国家プロジェクトとして、GPS の届かない屋内でも運用(自動航行)可能なドローンの開発に成功した。
しかし、兄のダン(中嶋しゅう)に、「それはつまり殺人の道具を作っているということだ」と激しく非難される。

「そうではない、むしろ抑止力になるし、大量破壊兵器とは違ってピンポイントでの殺害が可能になるため無辜の民を巻き込むことが減る」と反論するものの、やがてネッドの心には変化が生じる……。

この議論は、『雲ヲ掴ム』で展開された議論に似ています。

『雲ヲ掴ム』では、兵器を開発する重工の下請け町工場で、最終製品がどこで使われるのか正確には知らず(あるいは、気づかないふりをして)、生活のために操業を続けています。一方で、それをよく思わない(「人殺しの道具を作っている」と思っている)家族がいます。
そしてある日、外国でまさにその(日本で製造され輸出された)兵器が使用される場面をテレビニュースで目にして愕然とする、という場面があります。

『雲ヲ掴ム』は、このような事態が現代日本で現実に起こりかねない、ということをじかに訴えるものでした。

「新型ドローン開発」を通してずっと遠くまでを描く『いま、ここにある武器』

一方、『いま、ここにある武器』では、イギリスの話であることも関係してか、ストーリー自体はそれほどまで直接的なものには感じられません。
にもかかわらず、「これは私(たち)の話だ」と強く感じたのでした。

なぜか。

4 人いる登場人物の一人ひとりは、決して単純に特定の政治的立場を代表しているわけではありません。
それぞれが、それぞれの事情でそこにいます。

ネッドは技術者で、技術的な解決策を追い求めます。今までできなかったことができるようになることを愛します。
結果、新型のドローンを開発し、それが世界をよりよくすることも信じています。(少なくとも、ある程度は)

ダンは歯科医で、ボトックスによる金もうけを画策するなど清廉潔白な人物というわけではありませんが、自分と家族の生活を守り、よりよくしようという意思があります。また、兵器を憎む妻を持つこともあり、ネッドのしていることを支持できない部分がありますが、決して弟自身のことが嫌いなわけではありません。

(正確には把握できてませんが、おそらく)プロジェクトを取り仕切る(あるいはその補佐をする)ロス(那須佐代子)にも、やはり生活があります。(おそらく)優秀なビジネスマンとして、プロジェクトを成功裏に収めたいという熱意があります。

最後の登場人物であり、政府(国防省と言っていたはず)関係者のブルックス(斉藤直樹)も、いやらしい人物のように描かれてはいましたが、国のために最善の手段を取った結果があのような交渉術(静かな恫喝、あるいは心理操作術といってもよい)だったのだと思います。

誰もが、私利私欲のためだけでなく、ただ権力に服従するでもなく、自分が正しいと思うことをしています。最善につながると信じた道を行っています。
それぞれの人物の背後にまた人物があり、その背後にもまたあり、最終的には社会と呼ばれるものに通じています。

にもかかわらず、あるいはそれゆえに、ものごとはうまくいかない。
兵器産業に特有の問題を描くでなく、政治的立場の表明でもなく、人間社会そのものを描いているように感じます。

うまくいかない理由はただ仕組み、構造ということだけでもなく、またネッドという一人の人間固有の弱い部分でもあります。
人間は一人ひとり違う。

ダヴィンチが作った木彫りのライオンの美しいイメージを、希望としてネッドが語るラストシーンでは、「あなたはどうするのか」というメッセージを受け取ったようにも思いました。

「いま、ここに武器がある」

いま一度、「新型ドローンの開発は人殺しの道具を作っていることになるのか」という問題に戻ってみます。

ネッドは、「高機能ドローンは抑止力になり、また精度の高さゆえに死傷者の数を減らせる」と主張します。
それで本当に死傷者の数が減るのなら、ネッドは人を殺したのでなく、むしろ人を救ったことになるのではないか。

ダンは「そのドローンが悪用されたらどうか」という問題を提起します。
より直接的に考えるなら、仮に「ダンが」ドローンを開発し、そのドローンが悪用されて「私」(ネッド)が殺される事態に至ったらどうか。

まさに「いま、ここに」武器があるとしたら。
ネッドなら、「仕方ない」と答えそうにも思います。もちろん、殺されるその瞬間に心から「仕方ない」と思える可能性は低そうですが……。

ネッドは「包丁が人殺しに使えるからといって、包丁をなくすか」という反論も行います。
劇中ではいま一つ説得力を欠くようにも見えたのは、もともとの目的が違うから? 

ここで答えを出すことはできません。
少なくとも、『いま、ここにある武器』を見て、こういった問いを受け取りました。

個人的には、人を殺す可能性の高そうなものを作るのには、関わりたくない、と直感的に思います。
殺すにかかわらず、人を不幸にしそうなものには。

でも、この複雑な社会において、何がそうで、何がそうでないと言えるか。

ドローンのネジを作る仕事は。そのネジの原料を作る仕事は。卸す仕事は。工場の清掃は。会社の経理は。併設の食堂の調理師は。工場前に通じる鉄道の運転士は。近所のコンビニのバイトは。
コンビニのバイトがそうでないなら、ネジを作る仕事はなぜそうか。

どこで線を引けるのか、引くべきか、引けば自分が納得できるのか、引けば多くの人が納得するのか、やはり答えは簡単には出せません。
決まった答えはないようにも思います。

ここに「才能」が関わってくるのかもしれません。
ネッドが優秀な技術者でなければ、新型ドローンを開発することもなかった。

第二次世界大戦期に物理学者として活躍していたハイゼンベルクとボーアを描いた『コペンハーゲン』にも通じるものがあるか。
これも先日観て、複雑な印象を得たものでした。

「国家プロジェクトとしての新型ドローンの開発」に、人殺しの道具を作っている面がまったくない、とは言いがたいように思います。
一方で、たとえばそのネジを作る仕事に就いていたとしても、それが嫌なら、同程度の給与を得られる別の仕事もあるかもしれません。(といっても、『雲ヲ掴ム』のときのように、それが家業でやめるのが難しい場合もありますが)

才能、能力のある人間なればこそ、その力の使い方に深く悩むということが起こりやすくなります。

シアター風姿花伝

最後に、テーマというより芝居について。

シアター風姿花伝は新宿区中落合というなかなか絶妙(……)な場所にある劇場なのですが、こじんまりとしていい空間です。
新宿区といっても豊島区との境で、うちから歩いて(15 分くらい)行けるのも個人的にポイントが高い。

以前にも一度ここで、てがみ座の『対岸の永遠』を見ているのですが、あれも今回に劣らず濃密でよい舞台でした。
空間が濃密なんですよね。といっても下北沢の小劇場のようなちょっとすえた臭いも漂う感じではなく、清潔で濃密、という不思議な感じ。

今回は 4 人芝居、同時に出るのは 3 人までの徹底的な会話劇。
再来年に新国立劇場の芸術監督にも就任される小川絵梨子さんの、新訳もよい。ブルックスの絶妙な口調(語尾のニュアンス)の変化には震えました。

中島しゅうさんが好きです。
たぶん、すごく器用な(いわゆるカメレオン的な)俳優というわけではなさそうなのですが、立つだけで雰囲気がある、ついつい見てしまう。声がいい。『狂人なおもて往生をとぐ』『Eternal Chikamatsu』など、出ていると印象に残ります。
千葉哲也さんのエネルギー、緊張感、虚脱感といった、変化するからだとの対比もよかった。

折り込みチラシによると、次回の風姿花伝プロデュース公演は 2017 年末予定とのことです。
次回もぜひ見に行きたいと思っています。

公演はこれからです

『いま、ここにある武器』は明日までがプレビュー公演で、明後日 2016/8/15(月)~8/28(日)まで上演されています。

チケットは 5500 円~ 5900 円(明日のプレビューのみ 4900 円)と少しお高めですが、こういったテーマについて人と人がやりあう姿を自ら目撃してみたい方は、ぜひ。
あと俳優のファンの方も、ぜひ。満員でも 100 人くらいの空間で、近いです。

ticket.corich.jp