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この国では犬が

本と芝居とソフトウェア

『現代戯曲の設計』の簡単なまとめ(「あらゆる芸術作品は、少なくとも一人の他人とつながりを持つための試みである」)

最近、遅れてきた青春みたいな感じで芝居(演劇)にドエライハマっています。

その一環で芝居にまつわる本を色々読もうと思って池袋のジュンク堂で最初に手に取った『現代戯曲の設計』という本がいきなりすごくよかったので、今後自分で参照するためのメモも兼ねて、内容を簡単にまとめてみます。

現代戯曲の設計―劇作家はビジョンを持て!

現代戯曲の設計―劇作家はビジョンを持て!

序論

あらゆる芸術作品は

最初のページの出だしがいきなり、この本に出会う日を待っていた、と僕が感じた内容だったので、まずはまるっと引用しておきます。

 あらゆる芸術作品は、少なくとも一人の他人とつながりを持つための試みである。完全に抽象的なものだろうと、微に入り細にわたって写実的なものだろうと、芸術作品を通して、一人の男あるいは女が、こう言っているということだ。
 「私は、ある体験をした。私は、あるものを観た。私は、あることに耐えて生き延びた――そして、そのことが私にとって重大だったように、あなたにとっても重大なことかどうか知りたい」
 より深いレベルでは、芸術家は、こうも言っている。
 「私は、人生におけるいくつかの真実を知った――そして、そんなふうに感じるのは私一人ではないことを知りたい」

そうなんです。

僕がこの一節に衝撃を受けたのは、僕がこれまで音楽を作ったり、シナリオを書こうとしたり、ゲームを作ろうとしたり、短歌を作ったりしてきたその動機が、今まで言葉にしようとしてもしきれていなかったそれが、まさにここに明晰に言語化されていたからでした。

今までは、ただ「あれをひとに伝えたい」と思っていました。
その「あれをひとに伝えたい」を丁寧に、ひとにちゃんと伝わるように言うとこうなる、ということだと思っています。*1

ヴィジョンという考え方

この本は、「ヴィジョン」という言葉を中心に置きながら論を展開していきます。

その「ヴィジョン」というのは、簡単にまとめると以下のようなものです。

  • 劇作家が舞台に乗せる、世界観。
  • 世界や世界と人類の関係についての、個々の芸術家の体験や洞察から生まれた、力強い意見。
  • 劇作においては、言葉でそれを語るのではなく、舞台の上でそれを見せる必要がある。

劇作家には(あるいは、劇作家が生きた時代や地域には)それぞれ固有のビジョンがあると考え、それらを分類して伝えようというのがこの本の目的です。

個人的には出だしの一節ですっかりやられてしまったのですが、この本の基調はあくまで劇作のための(あるいは戯曲を読み解くための)手引きなので、以降は個々のヴィジョンについての淡々とした解説となります。
なので、ここからは主として要点を箇条書きでまとめていくことにします。

変化のヴィジョン

リアリズム

  • 「この世界の問題は、理解し解決することができる」という信念を表す劇作形式。
  • 人生に対するヴィジョンは、「変化は可能だ」ということ。
  • リアリズムの戯曲は、ある問題の解決法を教えることはない。そのかわり、問題の原因を示し、その解決を促進する。
  • あらゆる場面が変化に向かって組み立てられており、舞台上での変化が舞台上での変化を引き起こす。
  • ストーリー展開に不要な登場人物やシーン、出来事は排除される。
  • 劇中のあらゆる要素が、幕の降りる前に解決される。
  • 文芸批評における「人生の断片」という意味の「リアリズム」と、戯曲の「リアリズム」とは意味が異なることに注意が必要。
  • オーギュースト・コントの社会学に影響を受けた劇作家たちによって始められた。

叙事詩

  • 複数のストーリーラインを持ち、それらがさまざまな場所で、はるかな時代にまたがって展開する劇作形式。
  • リアリズムでは「問題の原因を特定し、それを予測して回避する」ことが可能だと考えるのに対して、叙事詩劇では、「世界はあまりにも複雑なため、事態を前もって予測することはできない(原因をあとから知ることはできるとしても)」と考える。
  • では叙事詩劇を支配する法則はないのかといえばそうではなく、リアリズムにおける因果律のかわりに、道徳的秩序が世界を支配する。
  • 劇中で起きる多くの重大な変化は、登場人物たちの言葉や行動によって引き起こされる。一方で、出来事の偶然の組み合わせや、自然災害、戦争、動乱などの外的な力によって引き起こされるものもある。
  • 多くの変化はのちの展開の引き金となる。しかし、リアリズムほど厳密にそうである必要はない。
  • 叙事詩劇はただ地理的・時間的スケールの大きな劇というだけではなく、道徳律に支配された世界を表すための形式であることに注意が必要。
  • アリストテレスは『詩学』で叙事詩劇を批判したが、それを受け継いだ西ローマ帝国の滅亡によってそれが忘れ去られ、やがて西ヨーロッパに叙事詩劇の土台が作られた。そして、シェイクスピアがこれを大きく発展させた。

ブレヒト叙事詩

  • 世界で起きる変化はすべて、人生の交差の結果として起き、長い年月をかけて、さまざまな場所で展開する。
  • 人間ひとりひとりが起こすことのできる変化は、幻想であるか、あり得ない。
  • 個々の登場人物の行動によって一時的に変化が生みだされる場合もあるが、容易に元どおりになったり、実際には何も起こらなかったのだということが明らかになる。
  • 舞台上のイリュージョンを壊すような演出がなされる。ストーリーのスムーズな流れを阻むような話を登場人物にさせたりして、観客に、自分が劇場にいるのだということを意識させる。そうすることで、観客の知性を刺激し、楽しませ、観客を芝居作りのパートナーとすることを意図する。
  • 古くは、プラトンが『国家』で演劇が観客の感情を高ぶらせることを批判した。そうした考えに則った新古典主義が冷たく知的に過ぎた一方で、それに対抗したロマン主義やメロドラマは感情過多に陥っていた。そこへベルトルト・ブレヒトが、初めて、感情を土台とする演劇に疑問を投げかけながら、実行可能な代案を示した。

不毛のヴィジョン

自然主義

  • 人生をありのままに舞台に乗せようとする試み。
  • 「現実の人生では、決して何も変わらない」という考え方に貫かれている。
  • 経済状況・遺伝・環境といった個々の人間にはどうしようもない要素が、人生に対して決定的な力を持つ。
  • 登場人物による変化を生み出そうとする試みは、大抵失敗する。変化を生み出したとしても、それは表面的なものであり、その人生の根底にある状況は、決して変わらない。
  • 変化が起こるとすれば、場面と場面の間や、舞台の外であり、舞台の上で起こるとすれば、何か別の些細なことが観客の関心を引きつけているときである。
  • リアリズムが細部を取り除いて赤裸々な本質のみを残すのに対して、自然主義はあくまで、ごたごたした細部もひっくるめて、世界を舞台にあげようとする。
  • 叙事詩劇とは異なり、道徳律のような抽象的なものが世界を支配するわけではない。世界のありようは、あくまで経済状況・遺伝・環境といった科学的な事実の結果である。
  • エミール・ゾラによって始められ、アントン・チェーホフコンスタンティンスタニスラフスキーによって決定づけられた。

不条理主義

  • 周囲の世界に目につくような変化をもたらそうとする人間の努力は不毛である、という理解にもとづく。
  • 言葉で意思を伝達しようとする努力は全て無駄であり、身振りで意思を伝達しようとする努力は全て馬鹿げており、私たちは意味のある関係を何一つ持てない、という信念を表現する。
  • 登場人物は変化を求めているが、変化を求めるがゆえに、必ず出発点に戻ってきてしまう。
  • 変化は、最終的に、事態が悪くなるという形で訪れる。
  • 堂々めぐりや重箱の隅をつつくような議論が行われ、あるいはそれを邪魔しようとして失敗する。
  • 堂々めぐりの議論のようなどこにも行き着かない要素を繰り返し見せるにあたって、少しずつ人物の登場の仕方を変えたり、出来事のなりゆきを変えたり、言葉を発する人物を変えたり、台詞を変えたりして、観客を飽きさせないようにする。
  • 戯曲の中の出来事や筋の展開の背景には、疎外感と恐怖が通底している。
  • 第二次世界大戦後にヨーロッパを襲った絶望感の中から「頼れる道徳規範や行動規範などはなく、自分が信ずることは自分で決めねばならない」とする実存主義が生まれたが、そう主張する実存主義者がまさにその主張を他人に信じさせようとする、という矛盾があった。不条理主義は、これを補完するかたちで生まれた。

ロマン主義

  • 人間は、自分が決して手に入れることのできないものを求めるように運命づけられている、というヴィジョン。
  • ハリウッド映画や、キャンドルにの灯りに照らされたディナーというような意味でのロマンではない。
  • ロマン主義においては、世界は善人と悪人に満ちており、その中間は非常に少ない。善人は素朴な生活を送り、悪人は裕福で洗練され、退廃した生活を送っている。
  • 善人である主人公は情熱的で、うまく言葉にできない激しい感情に突き動かされる。純粋な理想を信じており、まったく妥協することができないことが大きな苦悩を生むが、生まれながらの性格であるため、変えることも、理屈で説き伏せることもできない。
  • 感情は常に信用でき、心が告げることを論理で否定することは、決してできない。一方、嘘は知性によって作られ、知性は信用できない。
  • 感情を宇宙の中心に据え、感情の中でも最も精神的で説明のできない「愛」を最も重要なものとする。主人公は愛のために、他の一切を捨てる。それは一種の狂気である。
  • これらのような特徴を持つロマン主義は構造とは関係がないため、これまでにあげたどの劇作形式も取り得る。
  • ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテの『若きウェルテルの悩み』に影響を受けた作家グループによって始められた。

神秘のヴィジョン

表現主義

  • 最も重要な真理は、私たちの五感によって感じたり、記録したりすることのできる物質的世界の中では、それと知ることのできないものであると考える。
  • それは、人間精神の非合理的で、説明できない領域にある。
  • 表現主義は、日常の現実をグロテスクに歪めることによって、精神の力を目に見える形に表す。
  • そのためのテクニックとしては、舞台装置や小道具のデザイン、照明や音響の効果、ショッキングな言葉、誇張された衣装、グロテスクなメイクアップなどがあげられる。
  • 客観的な現実と似た世界を見せようという努力はまったく行われず、かわりに、私たちの頭や心の中に存在する世界に、物質的な形を与えようとする。
  • ストーリーはたいてい、最後まである方向に向かって逆戻りなく進む。それはたいてい、主人公にとって事態が悪くなるプロセスである。
  • ヨーロッパの工業国の生活が、断片的な混乱したものになるのと同時に出現し、第一次世界大戦によって深い傷を負った人々を飲みこんだ科学や近代的進歩に対する激しい幻滅を代弁した。

シュールレアリスム

  • 普通の論理に従わない神秘的な力によって引き起こされる体験を舞台に再現する。
  • 真の人間の思考は、論理に導かれるものでもなければ、意図的になされるものでもなく、イメージに導かれていて、自然発生的であると考える。
  • 論理的な言葉では説明できないが人間の行動の真の源となる衝動によって、世界は動いているという信念を表現する。
  • 戯曲は登場人物の行動を巡って展開することが多いが、重要なのはその行動ではなく、結果として舞台に出現させられる刺激的なイメージである。
  • 平凡なイメージを刺激的で意外な配列で並べたり、日常的な出来事・人物・場所のディテールを取り払ったり、平凡なものやイメージを遊び心を持って操作したりすることで、それを実現する。
  • 十九世期末に、表現主義とほぼ同時に出現し、1922 年頃からはアンドレ・ブルトンがその理論を先導した。*2

まとめ

『現代戯曲の設計』で説明されているさまざまなヴィジョンをまとめました。

個人的には、すぐれた戯曲の多くは、これらのヴィジョンの複数をとても効果的に組み合わせてつくられている、と感じます。

もちろん、これらのヴィジョンのうちどれにも収まらない戯曲や、そもそもこの「ヴィジョン」という枠組みでは説明できない戯曲のよさもあることでしょう。
とはいえ、戯曲を作るとき、また戯曲について考えるとき、とても有効な考え方を得た、と思っています。

この本を読んで、これから演劇を観たり、戯曲を読んだりするのがますます楽しみになりました。

ただ、アメリカ人の書いた本なので、具体例がすべて海外の戯曲で、実際の作品と結びつけながら読むことがもう一つうまくできなかったことだけが心残りです。
ガラスの動物園』や『セールスマンの死』、『ゴドーを待ちながら』といった名前は聞いたことがあるような有名戯曲も多く取り上げられていましたが、あいにくいずれも日本での公演予定は見つけることができていません。(数年前に上演された例は見つかったのですが……)
なので、(観る前に読むのは惜しいのですが)戯曲を買って読んでみるのがいいのかな……と思っているところです。

なお、こうしてブログにまとめてはみましたが、この本自体軽くて薄く、要所要所にまとめのページもあるので、興味のある方は買って持ち歩くというのもよいかもしれません。

現代戯曲の設計―劇作家はビジョンを持て!

現代戯曲の設計―劇作家はビジョンを持て!

P.S.

プログラマやめてないので、コードの話もそのうちします。

*1:もちろん、この考え方に異論がある方もいるでしょうし、それだけではない、と僕も思います。「あらゆる芸術作品は」というのはちょっと大上段すぎる、というのももっともです。それでも、この視点は決定的に重要だと感じたので(また、この本がこの考え方を前提に話を進めるため)、まずは引用させてもらいました。

*2:ただし、ブルトン自身はシュールレアリスムによる舞台には否定的だった。