この国では犬が

本と芝居とソフトウェア

会話の豊饒、そして会話がないことの豊饒『宮本武蔵(完全版)』@東京芸術劇場

ブログの体裁を変えてから演劇の話ばっかりですが、書きます。

東京芸術劇場で『宮本武蔵(完全版)』を観ました。

musashi-stage.themedia.jp

作・演出の前田司郎さんの名前だけ知っていて、一度は見ておくか、ということで行ってみた公演。
これがすばらしかった。

冗長な豊饒な会話、会話

(もちろん)表題の通り、宮本武蔵を主人公とした話。

あらすじとしては、以下のようなものです。

伝説の剣豪として世に名を知らしめるも、その内面は臆病な男、宮本武蔵。
色々と疲れの溜まった武蔵は、湯治のため山奥の宿を訪れる。そこには様々な面々と出会うこととなる。
私たちが考える理想の武蔵像からかけ離れた主人公、宮本武蔵は皆から偽物ではないかと疑われる。
証明のしようもないが、本物と認められたら命を狙われる、しかし偽物と思われても面白くない。
疑心暗鬼の中で、武蔵に恨みをもつ者、討ち取って名を上げたい者、さまざまな思惑が重なって、物語は思いもよらない方向へ。
最後までヒーローらしさも小次郎との決闘もなく、そのだらしなさが笑いを誘う現代会話劇。
“本当の宮本武蔵は、こんなんだったのではないか!?”

(公式ページより引用)

観る前は、「笑えたらいいな~」くらいの期待がありました。

そして、笑えました。

会話劇。
それも、なんなら台詞(内容)そのものは思い出せないくらいの間投詞の嵐、嵐!

「え」「あ」「うん」「えっ」「いやいや」エトセトラエトセトラ、こういった類の言葉だけで構成されているんじゃないかと見紛うばかりの、会話。(よく思い出してみるとそんなこともなかったですが)

そうなんだ、人間の会話は。(特に、うまくやれない人間の会話は)
「くっくっく」という種類の笑いが漏れます。身に覚えがありすぎます

ちなみに、観客には比較的若い女性が多かったようで(たぶん……)、たびたび明るい笑い声も上がっていました。(あっイケメン俳優だからか……)
サービスシーンもありました。いい身体だったな~。(一部)

そして「貴殿」「拙者」「ござる」等々の時代劇風言葉遣いは申し訳程度に差し込まれ、現代日本語となんと自由に行き来すること!
明らかに不自然なんだけど、ぎこちなくはないんです。いやぎこちないんですけど。それを気にさせない謎の説得力。

もちろん問題は書かれたセリフの字面だけでなく、その速さ、大きさ、イントネーション、アクセント、間といったことにも及びます。
それらのすべてが、実に豊穣だった。

細かく指示を出しているのか、はたまた、どうやって作っているのかわかりませんが。
こういうのが観たいんですよ、演劇で。一つ前の記事でも書いたように。

enk.hatenablog.com

無言の時間の豊穣

そんなこんなで(劇中サクッと人が死んだりもするなか)終始実に楽しく観たのですが、この舞台が僕にとってきっと長いこと忘れられないであろうものになったのは、大詰めのシーンでした。

まずラストシーン。
武蔵と伊織のシーン。

伊織のあの無言、無言、動き、ゆっくりとした動き、震え、無言、客席の静寂、静寂、静寂、静寂。
自分自身を賭すこと。

去年の秋に観た『皆既食』のラストシーンを思い出しました。
似ているようで結構色々と違うのだけれど、美しさの程度では同じ。

そして、その全身全霊による賭けがむなしく終わること。(少なくとも、その場限りでは)
それが全身全霊による行いであることを知りながら、それをむなしく終わらせることしかできないこと。

観客をずっと遠くへ連れていきます。

それから、そのラストシーンを用意したと思うのが、直前のシーン。
武蔵とツルのシーン。

ここで決定的にすばらしい仕事をしたのが、ツルを演じた内田慈さんだと思うのです。
これまでずっとずっと、(まれに違うものが入っていたとしても)コメディ基調の演技と演出で進行してきた 2 時間を超えるこの舞台で、初めてはっきりとほんとうのことを持ち込んだ。

あのとき、客席が静かになった。
だから、ラストシーンが成立したのです。間違いなく。

このシーンも、ラストシーンほどではないものの、長い無言の時間がありました。
豊饒な、饒舌な無言の時間。

演劇はそれだけでいい

演劇に何を求めるかは人それぞれだと思いますが、僕はこういうラストシーンさえあれば、演劇はそれだけでいい、と思います。
そういうものを他で得たことがないので。

もっとも、そういうラストシーンを用意するには、そこまでの運びが十分巧みである必要があるのだと思いますが。(観客が途中でしらけたり寝てしまったら、どうしようもない)

それに、もちろんこの『宮本武蔵(完全版)』がラストシーンだけよかったということではなくて、終始とても楽しめる作品でした。
それでも僕は、このラストシーンを用意できる作家、演出家、スタッフそれから俳優を望むし、自分が演じるときもそうありたい、と思います。

次の月曜、2016/8/29(月)までやっています。
チケットは完売のようですが、当日券は出ているようです。気になっている方は、ぜひ。